主催:株式会社日建設計   後援:株式会社新建築社
  

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テーマ座談会

今回が初開催となる「都市のパブリックスペースデザインコンペ」。本コンぺは、学生の方を対象に、パブリックスペースのアイデアを募集するものです。コンペに関連して、2回のテーマ会議を行いました。第1回目は、今後どのようなパブリックスペースが必要になるか、どのような仕組みや空間でそれを実現していくかといったテーマについて、具体的な事例を交えつつ、審査委員長の岸井隆幸氏、審査委員の西沢立衛氏、亀井忠夫氏にお話いただきました。[編]

 

都市空間のデザイン手法:
「求心性を持たせる」「繋ぐ」


亀井|私は常々、建築だけでなく、都市デザインについても考えないといけないという問題意識を持っています。しかし、最近は建築系の方がそれほど都市を語ろうとしないし、一方の都市系の方も、建築分野に踏み込んでこない。それでよいのでしょうか。もう少し、両者がインタラクティブになるようなフィールドが必要ではないかと思い、このコンペを開催することにしました。学生の頃から、建築と都市計画を繋げて考える意識を持ってもらいたいと思うのです。
日建設計の実施プロジェクトにおいても、ここ2年ほどは、「パブリックスペースをどうつくり込むか」という視点を積極的に取り入れています。実際のプロジェクトだと、バルセロナのカンプ・ノウ 新スタジアム(本誌1606)では、スタジアムでありながら、街に対してのパブリックスペースをつくっていたことがコンペでは評価されました。バルセロナというローカルな気候を読み取りつつ、グローバルな技術で三層のコンコース・テラスや連続するランドスケープを計画したことで、その場所に応じたオリジナルなデザインを実現したんです。
これまで、私は建築の設計、つまりハードの設計を主に行っていました。しかし、最近は、社内のアーバンデザイナーやマネジメントのチームと協働するような、ハードだけではなく、維持管理や運営も含めたマネジメントが重要となるプロジェクトが増えています。そういうソフト的なことも含めて、この場で議論して、コンペの提案に期待したいですね。


ありがとうございます。では、パブリックスペースとはどんなもので、何がそれを生み出す契機になるのかといったテーマで、応募者の方々へのヒントをお話しいただけますか。

西沢|詩人のゲーテが、ボローニャにあるローマ時代の闘技場に訪れた際に、公共空間についていくつか印象深いことを言っています。彼は闘技場の形を見て、「人間の最も原始的で自然な集まりを見た」と言います。出し物の周りを取り囲むように人が集まり、出遅れた人たちは仕方なく台をつくって、前のひとの頭より高い位置に顔を出して、さらに出遅れた人はさらに高い台を持ってきて、より高い位置に顔を出して、人だかりができる。その結果、人びとは出し物とともに目の前に広がる群集を見る。群集が群集を見る、という状態です。ゲーテはまた、そういう形の成り立ちを適切に手助けするのが建築家の役割だとも言っています。 イタリアやドイツの街に行くたびに思うのは、記念碑が集まって街ができているということです。終戦記念だったり、個人の成功を祝うものだったり、詩人を記念する通りだったり、いろんな人びとや出来事を記念して建物や橋がつくられて、それが積み重なって街になっています。街全体が歴史なのです。公共空間は「今」だけではなく、時間や記憶も重要だと思います。現代の商業施設の多くは、人がいなくなると突然寂しく感じられるものが多いのですが、ヨーロッパの街の豊かさは、人間が集まって賑わっている時だけじゃなく、人間がいない時にもある豊かさがあります。

亀井|モニュメンタルな空間の強さがあるものには、時代が変わって、機能が変わっても、使い続けられる普遍性があるんじゃないかと思います。そういう強さを持ったものをどうつくれるかが、魅力的なパブリックスペースをつくっていく上でのポイントだと思うし、それが集積していくことによって、非常にポテンシャルが高い都市ができるんだと思います。

西沢|サハラ砂漠のガルダイアという集落は深い谷の底にあって、街がミナレットを中心とした同心円状のオアシスになっていて、明け方とともにみんな谷から砂漠に這い上がってきて、街に向かって祈っていました。宗教や文化が街の構造に直結していて、素晴らしい光景でした。日本でも、小豆島で見た農村歌舞伎舞台も、伝統文化と劇場、自然が一体化した世界となっていて、素晴らしい公共空間でした。

岸井|魅力的なパブリックスペースや、求心性のあるモニュメンタルな空間の提案だけでなく、都市のストラクチャーのアイデアもあるとよいですね。東京では、三環状道路をはじめとして、道路のネットワーク化が進んできました。「歩いて暮らせる街」を目指して、道路空間をこれまでより上手に使えるようになるんじゃないかと思います。また、東京にはすでに大規模公園のストックがたくさんあって、これらを互いに繋ぐと、実はかなり魅力的な都市になりますよ。オリンピック・パラリンピック関連施設が臨海部に多く建設されるので、都心部と臨海部をどう接続するかという議論もあります。この時代は新たにつくるというよりも、むしろ場所を繋ぐことでつくられるパブリックスペースネットワークが、重要になってくるのではないでしょうか。
パブリックスペースという概念は、極めて幅広い。必ずしも、行政が持っている公共空間のことではないし、個人の庭でも、パブリックな性格を持っていれば、パブリックスペースと言えます。今、プレイスメイキングが流行っているようですが、空間の設えのみならず、システムなのか、ソフトウェアなのかわかりませんが、従来のモダニズムの標準的なものとは異なる、自分たちの手でつくるパブリックスペースの提案が出てくると面白いですね。

亀井|都市空間を考える時には、求心性を持たせる方法がひとつと、もうひとつには岸井先生がおっしゃった、「繋ぐ」方法がある気がします。シンガポール・レールコリドー・マスタープラン(本誌1606)では、廃線沿いに点在する拠点ごとの特性を見ながら、どういうアクティビティが各拠点で起こり、それらをどう繋ぎ合わせることで周辺コミュニティの一体感を醸成できるのか、といった課題解決を目標に、全長24kmのビジョンとマスタープランを提案しています。

西沢|道は、日本文化にとって重要な都市空間だと思います。西洋の劇場は演者を正面から見ますが、日本の歌舞伎では花道があって、演者を横から見る。元々、神社の神様を年に一回街に招待する道のりで、道端に座って横から見るような形式が歌舞伎になったとのことで、横から見るようになったのかもしれません。道には、日常性とともに祝祭性があり、また共同体の路地でもあり、情報交換や交流の場として、日本に根付いてきたのだと思います。


日本における
パブリックスペースの可能性

では、何か、日本でのパブリックスペースを考えるヒントはありますか。

岸井|パリ、東京、ロンドンの各都心部を同スケールで並べた写真(下)があります。日比谷公園から北の丸公園までのエリアなのですが、皇居前広場があって、東御苑があって、こうやって他の都市と比較しても、ものすごい水と緑なんです。これらを一体のパブリックスペースとして捉えて、新しい可能性を生み出すこともあっていいと思うんですよね。

西沢|岸井先生の写真にもありましたが、東京には緑がいっぱい残っています。この緑も、明治神宮や皇居のように、ある意味でモニュメンタルな存在でもあります。そういう緑に着目したアイデアも面白いと思います。どうやって根底にあるアジア的な自然観や宗教観を引き継いでいくかということを考えていくのは、日本の都市を考える上で重要なことだと思います。

亀井|パブリックスペースを考えるのに、やはり「繋ぐ」というアプローチがよいのかもしれませんね。京都市の産寧坂が分かりやすい例ですが、二年坂を介して北にある八坂神社、円山公園、高台寺、法観寺と、南にある清水寺を結び、多くの観光客で賑わっています。

左から,パリ・東京・ロンドンの都心部の航空写真(同スケール)
地図データ: Google Earth

 


ローカリティとグローバリズムを 行き来する視点

パブリックスペースの可能性が拡がるさまざまなお話をいただきました。最後に、皆様それぞれに未来の都市像についてご意見をお伺いしたいと思います。

西沢|20世紀の都市化は、どの都市も同じ方向に向かいました。しかしこれからは、各都市の歴史や文化、個性が重要になってくるのではないでしょうか。僕としては、自然や文化、地域の歴史、それぞれの地域資源に繋がる都市化ができるのかどうかに興味があります。このコンペで提案してもらうのは、東京でも地方都市でもよいのですが、そもそもその街はどういう街だったのか、どういう人間が住んでいたのかといったことを調べて、そこから未来の方向性を探るアプローチもあると思います。単に、現状の便利さを追い求めるだけではなくて、近代化を終えた都市で、近代化以前の時代との繋がりを考えるのも必要ではないかと思います。

岸井|たとえば2040年には、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを身近に経験した学生の皆さんが、社会を支えていることになります。若い時に世界と接しているので、英語力の限界による壁は突破していてほしいし、さらに期待を込めると、日本のクールな部分やディープな部分を、世界に向けて発信する力を持っていてほしいと思います。そうすれば、世界と戦える日本になれるのではないかと思います。 また、どう考えても高齢化は進むので、最低でも70歳までは働かないといけない社会になっているのではないでしょうか。そうした社会になり、ICTの活用も進めば、今までとは違ったワークスタイルが出てきている可能性もあります。そこに日本特有のパブリックの精神も残っていてほしいと思います。

亀井|2020年までは、投資は東京に一極集中していくと思いますが、日本の国土の抱える問題やリスク管理の視点から考えると、今後は分散していくことが大事だと思います。そうした時に、地方都市のローカルな魅力が、直接世界と繋がることが理想です。今回のコンペでは、都市を対象としていますが、地方も含めた日本全体で、パブリックスペースの質が上がっていくとよいですね。

[2016年7月25日、日建設計本社にて 文責:『新建築』編集部]

 
 

第2回目の座談会では、宮城俊作氏、吉見俊哉氏、亀井忠夫氏にお集まり頂き、前回に引き続いて、今後の都市におけるパブリックスペースの可能性について話し合って頂きました。[編]

 

繋がることで生まれる
新たなパブリックスペース


まずは、具体的な事例などを交えながら、これからの都市やパブリックスペースについて、みなさんからお話を伺いたいと思います。

吉見|今後の都市のあり方を考える上で「成熟とは何か」が重要になります。都市の成熟を考える糸口として、私が関わる「東京文化資源区構想」についてご説明します。都心北東部のエリア(谷中、根津、千駄木、本郷、上野、湯島、神保町、神田、秋葉原)をひとつに繋ぐ構想です。これらのエリアは約半径1.5~2km圏内にまとまっており、歩いて約2時間で巡ることができます。谷中には昔ながらの生活文化が残り、外国人観光客に非常に人気があります。また、上野はアート拠点、本郷はアカデミズム拠点、神田・神保町は出版の拠点、秋葉原はマンガ・アニメ・ゲームの拠点、さらには神道や儒教、ロシア正教など世界中の宗教が集まっています。歴史や文化において、非常に高いポテンシャルがあるにも拘らず、相互の関係が薄く断続的です。そこを繋げると、例えば秋葉原に買い物にきた中国人観光客が、その足で湯島聖堂の孔子廟へ参拝する新しい観光ルートができるかもしれません。現在はいろんな方のご協力のもと、繋げる仕掛けをさまざまに打ち出しています。そのひとつに、この一帯を巡るループ状の路面電車(トラム)を構想中です。断続的だった場所同士を、面ではなく、線で繋ぐことで地域の一体感が生まれると思います。
公共性とは、必ずしも特定の場所だけに限定されるものではなく、複数の場所を繋ぐことでも生まれます。日本の美術館を例に取ると、それぞれの規模は小規模ながら専門性の高い美術館が多様に点在しています。それらを上手く繋げば、多様性を持った日本独自の価値を生み出せると思います。


ありがとうございます。では、宮城さんはいかかでしょうか。

宮城|私はパブリックスペースにもローカリティがあると感じています。今後、従来の行政主導型の都市を脱却して成熟へ向かう時、ローカリティがより顕著に現れ始めると思います。私はランドスケープが専門なので、常に建築と対比させながらパブリックスペースを考えていますが、建築とランドスケープには4つの対比があります。まず概念的に、建築の「フォルム」に対して、ランドスケープは「サーフェイス」だと言えます。つまり、地表上の土や水など環境的要素がつくり出す「場の状況」です。ふたつ目は、建築の「垂直性」に対して、ランドスケープは「水平性」です。だから常に境界横断が起こります。近代建築では境界領域のあり方がテーマでしたが、ランドスケープから考えると、境界が消えてグラデーショナルなものになり、新しい可能性が生まれると思います。3つ目が、建築の「集中」に対してランドスケープは「分散」です。人口が少なくなり都市が分散型になっても個々のモビリティが高まれば、地域は活性化します。そのため、モビリティをどう高めるかが公共空間のひとつのテーマになると思います。4つ目は、機能と形態の因果関係をベースにつくる近代建築に対して、ランドスケープは「プロセス」のデザインだと思います。自然を相手にするため、プロジェクトのタームが長く、厳密な終わりがありません。際限なく続くことで関係者が多様になり、いろんな人がさまざまな立場で参加することになります。その多様さをどう捉えるかも課題になるでしょう。

亀井|私たちも最近ではハードの設計だけでなく、マネジメントなどソフトの部分まで考えることが多くなっています。おふたりの話にあった「繋ぐ」という観点で考えると、今は東京に一極集中していますが、今後分散型になった時に東京と地方都市の関係など、大きなスケールでの関係性をつくることも重要になるでしょうね。先程トラムの話がありましたが、最近訪れたメルボルンでも、街の中心部は、無料で利用できるループ状の路面電車が通っています。確かに、建築や街並みを見る速度感がよかったですね。

吉見|モビリティの速度はとても大切で、新幹線のように速度が早すぎると、移動の際に場所の関係性を断ってしまいます。それに対して歩く速度や自転車、トラムの速度は街並みの変化を認識できるので、離れた場所同士を関係付ける手段になります。また、車窓から建物の低層部や街並みが、常に人の視線にさらされるので、自然と景観へ意識が向くようになると思います。それから災害の時には、車による避難で道路が機能しなくなることが多いですが、路面でも軌道上には車は入れないため、一般車両が入ってこないレーンを確保できます。


モニュメンタルに対する捉え方

亀井|ここまで既存の建築や場所を繋ぐことで生まれる公共性について議論していますが、前回の座談会では、例えばシドニーのオペラハウスのように、求心性のあるモニュメントの周辺にパブリックスペースができるという話なども出ました。「東京文化資源区」において新しいモニュメントをつくることは考えていますか。

吉見|新しいモニュメントを置くことは考えていません。なぜなら存在感が薄れただけで、すでにモニュメンタルなものは存在しているからです。上野動物園の中にある寛永寺の五重塔など、どうすればかつてのモニュメントを風景のなかに復活できるかを考えています。課題文にも「再生」「転換」とありますが、成熟した社会とは、資源のみならず文化や知識、建築や空間を含め、既存のものをより良質なかたちに再生できる循環型社会だと考えています。つまり創造的な価値転換性の仕組みを持つことが重要です。エリアの連続性が生まれると、かつてあったものの価値が見えてきます。成熟へ向かう現在では、そうしたところに目を向けることが、今の時代の新しさになると思います。

宮城|シドニーのオペラハウスは、あのシルエットやその場での体験が、みんなの意識に刷り込まれて、モニュメントというよりはひとつのアイコンとなっていると思います。それが公共性へ繋がるので、新旧や規模の大小に関係なく、みんなで共有できる価値をもったアイコンであることがポイントです。もし新しくつくるのであれば、現存するものを繋ぎ、活性化させるための仕掛けが必要でしょうね。

亀井|確かに単にモニュメントを置くのではなくて、モニュメントとの関係性を構築することがパブリックスペースへ繋がると思います。例えば、東京スカイツリーができたことで、墨田区のさまざまな場所の価値が見直され、以前とは使われ方が変わりました。いわば、公共性の触媒となるような存在ですね。

吉見|それから公共性を考える上で、地形はとても重要な要素です。近代は全部フラットにして都市を計画していましたが、これからは谷、運河、川なども含めた地形を活かすことで、大規模な建築を置かなくてもアイコンとなり得ます。

亀井|当たり前ですが、地形は不動で根源的なものですよね。現在の都市は土地にあますところなく建物が建ち、地形を認識しづらくなってますが、例えば、渋谷でも、谷にあたるスクランブル交差点には、人も吸い寄せられるようにして集まっていますよね。

宮城|ランドスケープでは地形に限らず、季節や時間、制度など外部要因が手掛かりになります。例えば、周辺を建物で囲まれた広場では日影の変化に合わせて人が移動します。境界線が常に動くことで、建築の内外に拘らず、グラデーショナルな公共性が生まれます。現代人はスイッチひとつで快適な環境が手に入れられるので自然の機微に鈍感になっていますが、そこにセンシティブになると可能性が広がるでしょう。


プロセスをデザインする

吉見さんに提示していただいた、谷根千エリアは特別に整備された地域ではありませんが、ある時から再評価され始めました。再評価の仕組み自体もパブリックスペースのデザインと言えるでしょうか。

吉見|宮城さんのプロセスのデザインと近いのですが、谷根千の場合は、もともとよい町並みがあったなかに、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を編纂した森まゆみさんや海外アーティストなどさまざまな人が現れたことで、地域全体のクオリティを上げるかたちで街がリノベートされました。全体として、とてもよいプロセスで変化してきたと思います。パブリックスペースにおいても、そういったプロセスに対する提案があると面白いですね。 また、プロセスに着目すると、公共性とは、現在を生きる私たちだけではなく、過去の人びとや、まだ生まれていない未来の世代を含めた、みんなのものであることに気付かされてます。過去の人を思えば、歴史の継承や過去との対話が意識されるし、未来を考えていれば、空間を無制限に巨大化するようなことは起きません。今の日本は時間軸の捉え方を見直した方がよいと思います。


災害大国・日本における
都市のサステナビリティ

亀井|元国土交通省技監・大石久和さんは著書『国土が日本人の謎を解く』(2015年、産経新聞出版)で、西洋と日本について「人為の国」と「天為の国」と対比的に捉え、西洋の都市は侵略など人の手によって「人為」的に変化がもたらされたのに対し、日本の都市は地震や洪水などの災害によって「天為」的に変化してしまうと、その根本的な違いを述べられております。災害は日本の都市が抱える課題なので、平常時と有事の両方で機能する都市のデザインが提案できれば、西洋にも日本にもなかった、新しい都市のあり方になるでしょう。

吉見|災害が発生すると旅行者は減少しますが、被災者の移動が増えます。流動人口で考えれば、レジャーと災害は表裏の関係といえるので、例えば観光地のホテルを、災害時に被災者の宿泊所として転用することができます。現に震災のあった熊本では、全国のトレーラーハウスを集めて仮設住宅として使い始めています。こうした観光との補完性を生かす復興の仕組みを組み込めば、快適性とサステナビリティを担保できる都市になるかもしれません。

宮城|いずれ起こる災害に向けて少しずつ社会を変えていくプロセスをデザインできれば、過剰に反応しなくてよくなり、高さ20mの防潮堤ではない方法で安心を得られます。 また、西洋と日本の違いでいえば、日本ではパブリックスペースと宗教や政治を関係付けることがタブー視されてきたと思います。歴史や公共性を持った宗教施設は街なかに多く点在していますが、すぐ脇にマンションが建ったりと、状況としてはよくありません。それらの扱い方を考えるだけでも可能性が見えてくるように思います。


テクノロジーによって広がる可能性

現在、「Pokémon GO」が社会現象となっていますが、そうしたテクノロジーを利用した新しいパブリックスペースのデザインは考えられるでしょうか。

宮城|拡張現実(AR)にも、公共性を持ち得る可能性は十分にあります。「Pokémon GO」は、現実の街の映像が表れ、これまで無関係だった場所に赴く体験をもたらします。そうした体験の前後で、従来の場所に対して、これまでとは違った価値を発見できたり、新しい公共性を認識させる触媒として考えると面白いです。また、人の行動をコントロールする力も侮れないと感じています。

吉見|ARを導入した時に、その仕掛けがどう現実世界に波及していくのかが大事です。単にAR上だけを公共空間にしても意味がありませんから、それによって実際に都市で起こる変化までデザインできれば面白いのではないでしょうか。

亀井|全2回にわたる座談会で、パブリックスペースを捉えるさまざまなヒントをいただきました。1960~70年代は建築家が都市について提言を行なったり、行政側にも都市デザインについて積極的な姿勢がありました。現在は、そのようなメッセージが残念ながら少なくなっている一方で、都市開発は急な勢いで進んでいます。このコンペは、国内外を問わず、建築系や都市系などさまざまな分野の学生に向けたコンペです。分野を超えた幅広い視点から都市を考えて頂くきっかけになれると嬉しいですね。本日はどうもありがとうございました。

[2016年7月27日、日建設計本社にて 文責:『新建築』編集部]